• No.0002
金相場の歴史を振り返る①:1970年代

日本において金は、価値が高く保管がしやすいことから財宝のひとつとして数えられ、戦国時代から江戸時代にかけての貨幣制度の変遷や、明治時代の金本位制の成立を通して経済の礎を作り、世界的にも国際的な通貨制度の中心として、1970年代に金本位制が終了するまでの世界経済を支えてきました。

1.日本と世界の金本位制の概略

1-1.日本の金本位制の成立

金は古来、財宝のひとつとして数えられてきました。
仏教では五宝(玉・金・銀・桂・香)、つまりは宝石と貴金属と香木(桂は香料の一種)を価値が高く保存に向くことから財宝とし、考古学者の清水康二氏の説によれば、この五宝は現在の将棋の駒の名称の由来とも言われます。(*1
また、戦国時代に武田信玄が製造させた小判の「甲州金(こうしゅうきん)」や豊臣秀吉が製造させた最初の大判金である「天正大判(てんしょうおおばん)」などは、江戸時代に徳川幕府が貨幣制度を統一し、日本独自の貨幣制度を確立する基礎となりました。
大判・小判が財宝であることは日本の昔話にもある通りですが、この大判・小判は正確には金と銀を混ぜた金銀貨であるため、江戸時代までの日本の貨幣制度は、金本位制ではなく、金銀複本位制と呼ばれます。
日本の金本位制が成立するには明治時代に入り、1871年6月27日(明治4年5月10日)に制定された新貨条例により、1円金貨(純金1.5g)を原貨とする金本位制が定められるまで待たなければなりませんでした。
参考
*1)清水康二「将棋伝来についての一試論−興福寺旧境内出土駒をもとに−」『遊戯史研究』6 遊戯史学会 1994

1-2.世界の金本位制の成立

世界的に金本位制が初めて成立したのは意外と新しく、1816年にイギリスが定めた貨幣法とされています。
古代ローマの時代から金(ゴールド)などの貴金属を裏付けとした貨幣経済の概念はありましたが、金貨は希少価値が高過ぎるため、イギリスが貨幣法で流通可能な金貨の規格を定めるまでは一般に流通しておらず、高額の決済に用いられるか、貯蓄として退蔵されるなどの利用に限定されていました。
しかし、金本位制を採用するイギリスが世界有数の金融・商業大国に成長したことで、欧州諸国もそれに追随して金本位制に移行します。これにより、19世紀には国際的に金本位制が広がりました。現在では、先進国のほとんどは管理通貨制度に移行していますが、それでも多くの国が自国通貨の価値を安定させる目的で、金準備を保有しているのはこのような歴史的な背景があるからなのです。

2.金本位制の終焉

2-1.金ドル本位制

金本位制は1816年のイギリスの貨幣法以降、歴史に沿って形を変えながら存続し、制度としての金本位制が一時停止された第一次世界大戦期においても、各国が自国通貨の切り下げによる国内産業の保護政策を推進していたこともあり、各国通貨の価値を保証する担保として機能していました。
また、第二次世界大戦後は、各国の通貨切り下げ競争が世界大戦勃発の要因のひとつとなったとの反省から、金との兌換によって米ドルと各国の通貨の交換比率を一定に保つ国際的な仕組みが採用されました。この仕組みは米ドルを基軸とするため、金ドル本位制と呼ばれ、1970年代まで続きました。

2-2.ニクソン・ショック(ドル・ショック)

1971年8月15日、ニクソン米大統領はそれまでの米ドルと金の兌換の一時停止を発表します。この発表は諸外国へ事前に知らされておらず、突然の発表であったことなどから、ニクソン・ショック(またはドル・ショック)と呼ばれています。
それまでは、金と交換できる唯一の通貨が米ドルであったため、米ドルが基軸通貨として金ドル本位制を支えてきましたが、ニクソン・ショックによってその仕組みが根本的に覆されたことで、世界経済に大きな影響を与えました。
各国はその後、金本位制を維持しようとしましたが、1973年に固定為替制度から変動為替相場制度に移行し、1976年1月のキングストン合意では、「国際通貨基金(IMF)加盟国は、金本位制以外のいかなる為替制度をも選択できる」と定められ、各国が通貨と金の連動を停止し、1978年4月のIMF協定の第二次改定により、国際通貨制度としての金本位制は完全に終焉しました。

3.金相場とオイルショック

3-1.金相場と第1次オイルショック

ニクソン・ショック後の金融市場の混乱期の1973年4月、日本では金の輸入が解禁され、自由化されました。輸入解禁当初の金価格は1グラム=825円でしたが、1973年10月に勃発した第4次中東戦争をきっかけに、第1次オイルショックが発生すると金相場は急騰し、1974年4月には1,710円と2倍強まで急上昇しました。
第1次オイルショックでは、日本の消費者物価指数が全国平均で前年比23%まで上昇する強いインフレーションが発生し、「狂乱物価」という造語も生まれましたが、金相場はそれ以上に上昇し、インフレヘッジとしての機能を発揮しました。

図表1:金輸入自由化から第1次オイルショック後までの価格推移

3-2.金相場と第2次オイルショック

1978年4月に金の輸出も解禁され、我が国の金取引が完全に自由化されました。
同時期、石油輸出国機構(OPEC)が1978年末以降、段階的に石油価格の大幅値上げを実施、1979年1月にはイラン革命が勃発し、世界第2位の産油国であるイランでの石油生産が中断したため、世界的に石油需給は逼迫し、第2次オイルショックが発生しました。また、1979年12月にはソ連のアフガニスタン侵攻も重なり、世界的に地政学的リスクが高まりました。
日本では前回のオイルショック時の反省から冷静に対応したことで経済への影響は限定的でしたが、世界経済への先行き不透明感から金相場は急騰し、1978年10月時点で1グラム=1,380円であった金価格は、1980年1月21日には6,495円まで急騰しました。この金価格は、その後およそ40年に渡って国内金価格の最高値となりました。

図表2:金輸出自由化から第2次オイルショック後までの金価格推移

4.まとめ

金本位制の成立から終焉まで、1970年代の金相場の歴史を振り返りました。
金本位制は過去の国際通貨制度を支え、金本位制の終焉後の1970年代に第1次、第2次オイルショックをきっかけとしたインフレーションが発生し、物価上昇率が一時2桁になるなど、日本経済に深刻な影響を及ぼす中、金のインフレに強い、インフレヘッジとしての特性が大いに発揮されたと言えます。しかし、その後の1980年から2000年にかけて金相場は長らく下落することになります。
次回は1980年代からの金相場の歴史を振り返り、金価格が下落した背景を解説します。

Say Hello to New Opportunities
Contact Us
法人向け融資も、資産運用も、ゴールドトークンへのアクセスも、UNBANKEDグループにお任せください。
※日本の居住者には、暗号資産サービスを提供しておりません。
お問い合わせはこちら